カテゴリー : Music

Mixed Tape 47 Rising Stars

MT47

MT47

メルセデス・ベンツが選択した曲をMP3ファイルで10週間ごとにアップデートして公開するmixed tapeの最新版「Rising Stars」がリリースされた。

DOWNLOAD COMPILATIONSをクリックすると、Mercedes_Benz_Mixed_Tape_47.zipが落ちてくる。

You’re Only Lonly

You're Only Lonly

You’re Only Lonly

2010年12月に、ずっとリリースされることがないと思っていた「波の数だけ抱きしめて [Blu-ray]」が半年前(2010年6月)にリリースされていたことに気がついて、「R134をドライブするなら冬の方がずっといい」なんてエントリーをしていたんだけど、得意の放置プレイで、今頃になって観ていたりする。

つまりは、現在進行形で観ているという状態。とっくの昔にRipして、iTunesにとりこんで、いつでもどこでも観れるようにしておいたのに、このていたらく。気が向くと5分とか10分とか、ワンセンテンスだけみたいな感じで観ていたりする。

で、始まって36分をちょっと過ぎたあたりで、中山美穂扮する(あの日焼けメイクをみると演じるというより扮するという方がぴったりな感じがするのは自分だけか?)田中真理子がかけるレコードが、今日のお題目「You’re Only Lonely」。

1979年にリリースされたレコードだけど、映画の舞台設定が1982年だから劇中で使われていても違和感は全くない。全くないどころか、PVを作ったのかと思えるほど映像にぴったりシンクロしている。

誰かが一緒にいることで救われるというシンプルで普遍的な愛情、その表現だから、逆説的に見せることも可能な、作りやすい画だということもあっただろうけどね。

When the world is ready to fall on your little shoulders,
And when you’re feeling lonely and small,
You need somebody there to hold you.
You can call out my name… when you’re only lonely,
Now, don’t you ever be ashamed, you’re only lonely,

つまりは、この歌詞にこそヒットした理由があるということだろう。時代的にウェストコーストサウンド、AORとか一括りにしてしまえば、時代の流行に乗ったことがヒットの理由に思えるだろうけど、この歌詞が聴く人の心の琴線にふれたのがヒットした最大の理由だと思う。歌詞って大事だよな。

リアルタイムで聴いていたから、今になって映画「波の数だけ抱きしめて」を観て、あの頃(ってどんな頃だよって話は長くなるけど、簡潔に言ってしまえば、Dazed And Confusedって感じの頃)を思い出したりして、思わずフルコーラス聴いてしまい、こんなエントリーを上げているというわけなんだけど。

そのうちに削除されるだろうけど、YouTubeにアップされているのを見つけたから、興味があれば今のうちに。YouTube「You’re Only Lonely」

輸入版の「You’re Only Lonely」と2009年にリリースされた「Blu-spec CD ユア・オンリー・ロンリー」は今でもAmazonで購入できるけど、2005年にリリースされた紙ジャケは、さすがに新品では入手不可ってところかな。

ちなみに、1979年のアルバムチャート第1位は、Billy Joelの「52nd Street」。

52nd Street

52nd Street

日本レコード大賞は「魅せられて/ジュディ・オング」、オリコンの年間シングルチャート1位は「夢追い酒/渥美二郎」、アルバムチャート1位は「西遊記/ゴダイゴ」。つまりは、そんな時代。

Billy Joelの「52nd Street」はオリコンのアルバムチャートでは14位。20位までにABBAのアルバムが3枚も入っていたりする。

ニューミュージックと演歌と洋楽POP、まさに混沌。それでも、この年ソニーからウォークマン(初号機は少しばかり大きかった)が発売されて、音楽のパーソナル化が始まる時代へと変わっていくわけだ。

勢いみたいなもので、エントリーしたから落としどころが見つからない。なので、まるで関係ないけど、FMつながりって感じで、J-WAVEとFM Yokohamaのステッカーの写真でも晒しておく。

Without you

Nilsson / Schmilsson

Nilsson Schmilsson

さて、久しぶりに音楽ネタのエントリー。少し前のことだけど、いつものように出がけにiPhoneのミュージックをタップして、プレイリストからJazzを選び、シャッフルをタップしようとして、ふと気が変わり、プレイリストへ戻ってPopをタップ、続いてシャッフルをタップしたら、1曲目に聴こえてきたのが「Without you」だった(iTunesにはNilsson Schmilssonがなかったので試聴するなら「Without You – The Rules of Attraction (Music from the Motion Picture)」を)。

相変わらず古い楽曲ばかりをiPhoneに詰め込んでいるんだという指摘はスルーして、Harry Edward Nilsson III(1941年6月15日 – 1994年1月15日)が1971年にリリースした「Nilsson Schmilsson」に収録され、シングルヒットした「Without you」の話をしよう。

1972年2月13日から3月11日の4週間、全米シングルチャートで1位を記録。ビルボード年間チャート/1972ではシングルチャートで第4位を記録している。

「I can’t live」で始まるサビの部分を聴けば、だれもが聞いたことのある曲だと気がつくはず。もっとも、それはNilssonの楽曲ではなく、Mariah Careyのものかもしれないけれどね。

Mariah Carey / The Ones

Mariah Carey / The Ones

ちなみに、Mariah Careyのバージョンは、1994年1月24日(Nilssonの死去1週間後)にアルバム「Music Box – マライア・キャリー」から3枚目のシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートでは最高3位だったが、全英シングルチャートでは1位を記録した。アメリカ国外でのMariah Carey最大のヒット作となっている(上の画像はシングルチャート1位になった楽曲だけを収録したいわゆるベスト盤「#1′s – マライア・キャリー」)。

閑話休題、この楽曲の重要な部分は「And now it’s only fair that I should let you know  What you should know」の部分をどう受け止めるかということだろう。

同じような気持ち(fairかどうかじゃなくて、「I can’t live」の方)になったとして、それを「unfair」だと考えるかどうか?いや、意識として考えていなくとも、心のどこかでは知らしめたいと思っているかもしれない感情を「切ないもの」としてあきらめることができるかどうか?だろう。

もっとも、このWithout youはあきらめられずに「I can’t live」と声高らかに歌い上げちゃうわけで、それがヒットしたということは、Nilssonの7色の声やMariah Careyの7オクターブの声のおかげばかりではなく、この歌詞に歌われている心情的な部分にシンクロする人が多数いたということなんだろう。

ところで、Nilssonが1967年にリリースした「Pandemonium Shadow Show」を聴いたJohn Lennonが、Nilssonに国際電話をかけて「You are great!」と賞賛したというエピソードがあるが、「Without you」の原曲はThe BeatlesのApple Recordに在籍したBadfingerのアルバム「No Dice (Remastered) – バッドフィンガー」に収録されているものだということを知っているのは、亀の甲より年の功というやつか。

Badfinger / No Dice

Badfinger / No Dice

1972年というのは結構いろんなことが起きた年で、グアム島で元日本陸軍兵士横井庄一氏が発見され、札幌ではオリンピックが開催され、軽井沢では連合赤軍の浅間山荘龍城事件が、そしてアメリカではウォーターゲート事件が発覚している。

いまでは溢れかえっているコンビニの第1号店(セブンイレブン)ができたのもこの年だし、第1次田中内閣が発足したのもこの年。そして、国連統計で東京の物価が世界一になったのもこの年だ。

また沖縄が返還され、沖縄県が発足した年でもある。このことが、日本の音楽業界に大きな影響を与えることに当時は誰も気がついてはいなかったはずだ。

そうそう、有吉佐和子の「恍惚の人 (新潮文庫)」がベストセラーになった年でもある。もっとも、読むのなら「二十歳の原点 (新潮文庫) 高野悦子」の方をお勧めするけれど、現在の老人社会を考えると、1972年に「恍惚の人」を書いた有吉佐和子はある意味凄いということになる。

つまりは、いろんなことが起きた年というよりは、1972年はいろんなことが始まった年なのかもしれない。

三つ子の魂百まで、石原裕次郎と加山雄三

いや、3歳だったというわけじゃないけれど、子供の頃の話。祖母が好きだったのでチャンバラ映画を見によく連れて行かれた。東京の下町の映画館だったから3本立てが当たり前の頃の話だ。

大友柳太朗の丹下左膳と市川雷蔵の眠狂四郎。同じ映画館で、小林旭や石原裕次郎も見た。東映や日活の映画だ。

見たという記憶だけしか残っていないものの方が多いのだが、それでも映画の中のシーンを覚えている。(横浜日本郵船ビルの前?で)小林旭が電話ボックスから電話をかけるカットや石原裕次郎がニューグランドへ入る二谷英明と浅岡ルリ子を見つめるカット。その映像の向こう側にあるニュアンスを子供であった自分にはわかるはずもないのに、それでも忘れずに覚えている。

石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」を見てきた後に、「おいらはドラマー やくざなドラマー…」とか歌っていたと叔母に何度も聞かされたくらいだから、子供であった自分にも石原裕次郎は格好よかったのだろう。

それでも、太陽に吠えろとか西武警察とかはほとんど観ていないから、自分が好きな石原裕次郎は映画館のスクリーンの中だけだったということかもしれない。

子供だったころには解らなかったが(って当たり前か)、石原裕次郎の映画の魅力はストイックさにある。リリカルなほどのストイックさが映画の全編を支配しているのが、見る側に伝わってくるのがいい。

たとえば、「赤いハンカチ」の中で玲子(浅丘ルリ子)が三上(石原裕次郎)に会いにいき、靴を脱ぐカット。あのワンカットにすべてがあると言ってもいいくらい、リリカルなシーンであり、裕次郎映画のストイックさを表現していると思う。

テレビでは石原裕次郎のそういった格好よさは表現できなかったろうと思う。日活映画だったから石原裕次郎は格好よかったのだと思う。

それから何年かした後には、今度は叔母に連れられて、新宿東宝へ円谷プロの特撮映画と加山雄三の若大将シリーズの2本立てを何回か観に行った。「銀座の若大将」「日本一の若大将」「ハワイの若大将」「海の若大将」「エレキの若大将」「アルプスの若大将」「南太平洋の若大将」「ゴー!ゴー!若大将」「リオの若大将」「フレシュマン若大将」と10作品を観た。観ていないのは最初の「大学の若大将」と「ニュージーランドの若大将」以降の作品。

加山雄三の若大将は子供心にもとんでもなく格好よく映り、円谷プロの特撮映画よりも若大将シリーズの方が好きだった。で、加山雄三と言えば、映画ばかりではなく歌手でもあったわけで、自分の音楽に対する興味の原点は加山雄三だったと言えるかもしれない。

加山雄三

加山雄三

あの頃、街中に溢れていたのは歌謡曲で、加山雄三の歌う楽曲はどれも新鮮に聞こえた。もっとも、澄ちゃん(星由里子)に初めて聴かせたはずの「君といつまでも」を二人で歌っていても不思議に思わなかったのだから、やっぱり子供だったのだろう。

で、上の画像は「加山雄三グレイテストヒッツ 〜アビーロード・マスタリングス – 加山雄三」。レコード・デビュー40周年を記念して、ロンドンのアビーロード・スタジオでリマスタリングしたベスト盤。

なんで、アビーロード・スタジオなのかはさておき、グレイテストヒッツと呼ぶにふさわしい楽曲の数々。まあ、映画の中の若大将を思い出すには十分な盤になっていると思う。

それから、やっぱり後になって思うことだけど(って、今とは違う、あの頃の子供では解らなくて当たり前だろうけど)、加山雄三の楽曲は岩谷時子の作詞とセットになることで倍以上の魅力を持った作品になっていたということ。その意味では、東宝だったから加山雄三の魅力を引き出せたとも言えるだろう。もっとも、ブラック・サンド・ビーチはインストだけど名曲だよね。

ところで、「赤いハンカチ」「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」など、石原裕次郎の歌もいい楽曲が多いのだが、後ろのオケがもう完全に懐メロで、しかもゴージャスというのとは違う山盛り感のあるオケだから、CDを聴こうという気にはなかなかなれないのだけど、「ベストヒット20」は、売り上げランキング順に20曲収録という企画アルバムで、映画の中の石原裕次郎の歴史を1枚でたどれるベスト盤。

Amazonで見つけたのだが(ってリンクをとり忘れた)、2010年に発売された加山雄三の「若大将50年!」というCDには「夜霧よ今夜も有難う(作詞・作曲:浜口庫之助 編曲:鳥山雄司)」が収録されている。残念ながらというか、やっぱり弾厚作/岩谷時子じゃないとダメなのか、全然別物になっている。石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」ではないのは当たり前として、編曲:鳥山雄司でも加山雄三ではないという感じ。

さておき、自分の音楽的趣味嗜好がごった煮的なのは、子供の頃に観た石原裕次郎の映画と加山雄三の若大将シリーズが原点だったからだと思う。加山雄三の歌を聴くたびに、染み染みそう思う。

雨水から啓蟄へ、雨が空から降れば

日に日に、陽が長くなって、冷たい雨も春の雨に変わっていく。節が変われば気も変わる。歳を重ねたら変わってしまうものもあるけれど、何もかわらないものもある。

雨降りになるとつい口から出てくるのが、劇作家の別役実の詩に曲をつけて小室等が歌っていた「雨が空から降れば」の一節。もっとも、その時々によってフレーズが違ったりする。雨がシトシト降れば、と始めるときもあれば、公園のベンチでひとりおさかなをつればおさかなもまた雨の中、とかとりとめもなく口ずさんでいる。

釣り糸を垂れて魚と話をするというのは解らなくはないが、公園の水たまりに魚がいるかどうかというのは解らない。それでもそれがデヴィットボウイではなく常田富士男なら解らなくもないか。

毎度のことながら、昔話になるけれど、上条恒彦と六文銭の「出発(たびだち)の歌」がヒットした翌年1972年に、全曲を及川恒平が作詞をしていた「キングサーモンのいる島」というタイトルのレコードを聴いた。

その中で及川恒平が曲も書いた「春は日傘の」が印象的だった。雨降りは一年中あるけど、白い日差しが降り積もる春の日というのは一年のうちにほんのわずかでしかないし、気がつかずに通り過ぎてしまうこともあるから、思い出すのも何年かに一度あるかどうかというところだけど、それでも「春は日傘のその上に白い日差しが降り積もる」というフレーズが心に残っている。

同じ年に聴いた六文銭メモリアルというレコードの中に「雨が空から降れば」が収録されていた。このレコードには及川恒平の「面影橋から」も収録されていて、そのタイトルを見たときに早稲田の面影橋を思い出したのだけれど、「面影橋から天満橋」という最初のフレーズで大阪の歌なんだと思った記憶がある。

この曲の「切って捨てよか大淀に」というフレーズが、何かの拍子に突然口をついて出ることがある。但し、「雨が空から降れば」のように雨降りだからという条件反射的なものとは違い、そのときの状況的には自分のことながら不明な部分なので、どんなときにこのフレーズが出てくるのかは説明できない。

2008年6月に初めて文章にして、2009年7月に修正した。いずれも梅雨時にwebにアップしたものだけど、もうそのウェブサイトはない。で、今回は節と節の合間の雨降りになって思い出したので、最近の更新停滞を解消すべくリアップ。

ちなみに、「六文銭 BOX」のDisc 1の7曲目に「春は日傘の」が、Disc 2の9曲目に「面影橋から」が、同じくDisc 2の11曲目に「面影橋から」が収録されている。リンク先のAmazonでは試聴が可能。

Whitney Elizabeth Houston、1963年8月9日 – 2012年2月11日

Whitney Houston

Whitney Houston

風邪を引いてネットから離れていたら、またひとつ悲しい報せが届いていた。

Whitney Houston – ホイットニー・ヒューストンがビバリーヒルズホテルで遺体となって見つかったそうだ。享年48歳。グラミー賞6回受賞。

 54th  GRAMMY® Awards

54th GRAMMY® Awards

折しも、第54回グラミーアワードの日にその報せが飛び込んでくるとは…。

ほんの少し前に、Whitney Houstonが破産状態にあるというようなことを聞いたばかりだけど、あれは悪い報せだったのかもしれない。